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 飯綱山、戸隠山、黒姫山、妙高山、そして斑尾山。北信五岳に西北の空を縁どられた小布施町に、桝一市村酒造場はある。その酒づくりを主にになってきたのは、飯山杜氏(いいやま・とうじ)と呼ばれる杜氏と蔵人たちだ。
 いまは4人が、晩秋になると蔵に顔をそろえる。短い人でも桝一で、二十の冬を越してきたベテランの彼らは、斑尾山南麓の、空気が凛と冷えた美しい村からやってくる。
 その蔵人たちと桝一の若い社員とを束ねて率いるのが大杜氏、「おやじさん」こと遠山隆吉さん(78歳)。桝一で今冬、56度目の冬を迎える。遠山さんが酒づくりの世界に入ったのは、昭和16年――真珠湾攻撃で日本がアメリカはじめ連合国軍との戦いに突入した、まさにその冬だった。
・・あ、いや、気を遣わなくていいんだ。ここ(寄り付き)じゃご飯やおかずは自分で自分のを盛る。そうしてるのさ。
 まぁ、俺が15とか16のころは、先輩の飯を全部盛ってまわったよ。蔵に入りたての下っ端は「働き」という。階級みたいなもんだな。最後に食べ始め、最初に食べ終え、先輩のお膳を片付けてく。そのぐれぇしないと、その人間はゼロ。丁稚奉公みたいな、ま、封建的な時代だったね。
 酒屋に入ったのは満15歳、昔の尋常高等小学校を出た年の冬だ。そのころ農家の冬の副業といえば、諏訪で凍み豆腐や寒天づくり、静岡あたりでみかん狩り、給料がよかったのは飯山線の除雪作業。俺も誘われたけど酒屋にした――なぜかって? 家の中の仕事がいいもの(笑)。深いこと考えないよ。でも当時だって、酒屋は重労働だったさ。      
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飯山杜氏[いいやまとうじ]
酒を造る人を蔵人といい、その中で最高責任者一人を杜氏といいます。従って酒蔵の数と杜氏の数は同じことになります。ところで、長野県には杜氏の郷が3箇所あります。小谷、諏訪、飯山の3箇所で、県内にある約100酒造蔵の9割は県内杜氏で、何れかの地域の人たちです。昔は蔵人もそれらの地域の人々がほとんどでしたが、現在は酒造蔵地元の蔵人が多くなり、杜氏の郷の蔵人は年々少なくなっています。更に地元出身者が杜氏を勤める蔵も出始めています。

大杜氏[おおとうじ]
直前杜氏のことであり、杜氏を辞めると引退する人も多いが、桝一市村酒造場前杜氏である遠山隆吉さんは桝一にとっても又飯山杜氏仲間にとっても重鎮であること、更に氏の技術的蓄積は業界の宝であるため「大杜氏」として現役杜氏達のアドバイザー役を果たしている。なお桝一では大杜氏のことを役職名として「オヤジ」といい、親しみを込めて「オヤジさん」と呼んでいる。

寄り付き[よりつき]
桝一では蔵人が休憩したり打ち合わせをしたり食事をしたりする場所を「寄り付き」といいます。(全国的には「ひろしき」と呼ぶ酒蔵が多い)この「寄り付き」という言葉は現在ではお茶の世界ぐらいにしか残っていない言葉になってしまいましたが、昔は一般によく使われた言葉で、例えば民家のお勝手の上がり框(かまち)付近なども「寄り付き」と呼んでいた例もあります。